無があっての有

「三十幅一穀を共にす。其のむに当たりて、車の用有り。職をこねて以って器を尽くる、其の無に当たりて、器の用有り。戸ゆうをうがちて以って
室をつくる。其の無にあたりて、室の用有り。ゆえに有のもって利をなすは、無のもって用をなせばなり。」 

車輪は30本の矢が中央の甑に集中しています。中央の甑が空になって何もないところがあるからこそ、回転してやくにたちます。
「荘子」の無より。

形あるもの 
{有}が人の役にたっているのは、形の無いもの「無」が作用しているからなのです。

私たちが、誤りなく生きるためには、姿はないが、支えてくれている多くの人たちから存在するものです。
姿なき道に従う、これこそ正しい道、また感謝することが大切ですね。

自然も空気も、目には見えません、しかし、人間は、樹木の葉から酸素をいただき、生きていますね、自然も大切、感謝ですね。